中原雄一(
21/10/20 Wed 22:43
更新)
運動が苦手だった頃
私が運動の世界にのめり込んだきっかけ
- 私の少年時代は、将来のフィットネス インストラクターの姿とはほど遠いものでした。
- 当時学校の成績表は5・4・3・2・1で評価していましたが、私の体育の成績は、小学校から中学校の2年くらいまでは、ほとんどが「2」でした。運動関係は何を行ってもビリッケツという状態だったのです。
- しかし、絵を描くことは好きでした。当時マンガおたくとまではいいませんが、宇宙戦艦ヤマトのイラストをよく描いていたのは覚えています。
- 中学2年の時、『さらば宇宙戦艦ヤマト』が公開されることになり、「これはぜひみなければならない」と友人、弟とともに映画館に向かいました。
- それにしても地方の映画館というのは、よく分からないカップリングをするものです。その『さらば宇宙戦艦ヤマト』に期待して映画館に向かうと、なんとブルース リーの『死亡遊戯』が同時上映となっていたのです。
- 到着時間帯の関係上、『死亡遊戯』の途中から観ることになりました。ヤマトにはやる気持ちを抑え、『死亡遊戯』を見ていたのですが、10分も経たないうちに我を忘れていました。一緒に見に行った弟、友人とも、いつのまにかエキサイト状態になっているのが分かりましたが、それくらいインパクトの強い映画だったのです。この時点までのアクションが代役によるものとは気づかず、とにかくすごいと思うしかありませんでした。
Bruce Lee(画・中原 雄一)
- しかし、このあとさらに、全身に稲妻が走ったような衝撃を受けることになります。本物のブルース リーが出てきてアクションを始めたのです。これは当時の私にとっては全く表現のしようがないくらいの衝撃でしたが、今まで見ていた代役さんとは比べ物にならない迫力でした。速いとか、切れるとか、うまいとか、そのような次元を超えたエネルギーのようなものがスクリーンの中のブルース リーからほとばしっているのを感じてしまったのです(最後には結局代役に戻ってしまうので、残念なのですが)。
- その『死亡遊戯』の上映が終わりました。すでにゲンキンな私たちは次の『さらば宇宙戦艦ヤマト』が始まると、とにかく「早く終わってくれ」を念じるだけでした。見逃した前半部分にブルース リーが出ているのか確認したかったのと、もう一度あの後半部分の人間離れした動きを見たくて見たくて仕方がなかったわけです。
- その日から私の生活は変わりました。友人からダンベルを借りてウエイト トレーニングを始め、熱心にカラダ作りを始めたのです。今までの私からは考えられない変化でした。
- 同時に巷で発行されているブルース リーの書籍はすべて買いあさり、カンフー着や悪評プンプンの「トラックスーツ(ブルースが死亡遊戯で着用していた恥ずかしいウエア。ブルース リーしか似合わない)」まで購入しました。
- 小学校から中学2年生まで続けてきた「絵画クラブ」「マンガクラブ」「美術クラブ」というような芸術系orおたく系のクラブ活動は一切止め、中学3年にはマラソン クラブに入りました。単純に、ブルース リーがランニングの信奉者だということを、彼に関する書籍で読んだからです。
- また、ブルース リーがプロテインを飲んでいたという話を聞けば、私もすぐに買いに走ったものです。でも、当時はプロテイン パウダーの入手はとても大変で、あるスポーツ用品店がテストで輸入したものをようやくGetすることができました。
- 当然、高等学校は空手道部がある学校を探しました。結果的に鹿児島玉龍高等学校を選び、そこで武道の基礎を身につけることになりました。
- 体育も高校1年のときこそ「3」でしたが、2年で「4」、3年では念願の「5」をとることができたのです。おかげで、日本大学文理学部体育学科まで合格したのですが(結局中国文学科を選ぶ)、本当に自分自身に自信がついた瞬間でした。
- 最後に、この文章をもし、中高生の方で運動にコンプレックスを持っている人がいたとしたら、「自信をなくす必要はない」というアドバイスを送りたいと思います。
- 私の運動の成績は惨憺たるもので、中学生のときまでは一生のことだとあきらめていました。本当に惨めでした。2歳年下の弟はいつも体育が「5」でしたから、私のコンプレックスは相当なものだったと思います。
- このような私が、ブルース リーの映画1本をきっかけに、全く正反対の一生を歩むことにななるのだからおもしろい。武道という自分にあったものを見つけたことにより、心の奥底のコンプレックスを取り払い、さらに高度な自信を身につけることに成功したのです。