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中原雄一( 21/10/20 Wed 22:43 更新)

ブルース リーのパワー

目次

  1. はじめに
  2. ブルース リーのキックのパワー
  3. ワンインチ パンチ
  4. おまけ
    1. ブルースに怪我をさせた男
    2. ブルース リーは自分の武術-截拳道-に裏付けが欲しかったのか?

 

1.はじめに

なんといってもこれまで私に一番(変な?)影響を与えた人、それはブルース リーだと思います。そのブルース リーが正月特番で放映されるとは!

その番組は、「今世紀最強のアクションスター ブルース・リーよ!永遠なれ(テレビ東京系)」という内容で、東京都では1月2日深夜に放送されました。

この番組では彼が映画を撮影したポイントを探し出し、公開するなど、結構今までになかった視点で特集しており、とても楽しめました。

中でも、彼のパワーを力学的に推定したコーナーはとても興味深いものでした。

今回のコラムは、この番組の話題について語ってみましょう。

brucelee.jpg (26343 バイト)

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2.ブルース リーのキックのパワー

番組の中で分析されたのは、「ドラゴンへの道」という映画の1シーンで、アメリカン フットボール用のエアー シールドを構えた出演者をサイド キック(横蹴り)で吹っ飛ばすシーンでした。

この分析では、エアー シールドを持った出演者を、身長175cm、体重70kg、重心位置87.5cmと仮定しています。

ブルースがこの人物を彼の得意技の一つである「サイド キック」を放つことで、彼の重心があった位置(大体腰のあたりになります)が、87.5cmの高さを落下しながら、だいたい身長の1.5倍程の距離まで移動していくのです。番組でのこの距離を2.5mと求めていました。

番組では、この落下までに要する時間を求めるために、落下距離を求める公式に当てはめていました。

1/2 * 重力加速度* (落下時間)2 = 落下距離

重力加速度は9.8m/秒、落下距離が0.875mということで

1/2 * 9.8 * (落下時間)2 = 0.875
(落下時間)2 ≒ 0.179
落下時間 ≒ 0.42秒

出演者が落下するのにかかる時間は約0.42秒と推定されました。

落下時間を割り出せたことにより、ブルースが出演者に与えた速度が割り出せます。

2.5 / 0.42 ≒ 5.95

このように、ブルースが出演者に与えた速度は、秒速5.95m (時速21km)ということになります。

この結果、ブルースのキックの力積(衝撃力)が推定できるのです。

力積は、物体の重さと、物体に与えられた初速で求められますから、

体重(kg) * 初速(m/秒) = 力積(kg・m/秒)

つまり

70 * 5.95 = 416.5

ブルースのキックの力積は約416.5kgm/秒、ということになります(番組では410kg・m/秒としていました)。

番組内ではこの結果を、極めてすごい値だと評価しています。体重65kgの格闘技選手が発揮する一番力積の大きなキックは「膝蹴り」で、その力積は82kgm/秒だからです。

この結果、ブルース リーのキックは体重65kgの格闘技選手の5倍にも達することになるわけです。もちろんキックの種類も違いますから、一概に比較するのは難しいのですが、KOの威力を秘めた格闘技選手の膝蹴りに対して、その5倍の力積を与えられるほどのキックをブルースが持っていたことにはなります。

ただ、エアー シールドを抱えていた出演者はブルースの執事でもあるウー ガンという人で、体重はもう少し軽いかもしれません。しかし、体重を65kgで計算しても、約386.75kgm/秒ですからすごいことにはかわりはないですが。

これほどの値ですから、トリックを疑う人がいるかもしれません。というのは、ジャッキー チェンが自身の映画の中で、ピアノ線で後ろから引っ張る方法で同じような効果を実現していたからです。しかし、ブルースの映画の場合、後ろは壁、しかも吹っ飛んだ出演者を受け止めるための段ボール箱が山積みしている状態です。そのようなトリックは考えられません。

また、出演者が、その重心位置がきれいに放物線を描いて落下していますので、香港映画でよく使われる、天井から吊るすなどの行為もまずないでしょう。

このシーンは、あえてスローモーションで撮影されていますので、ブルースはよほど自信があったとみえます。出演者が自分で飛ぶなどの行為を行っていないことも確認できますから。

このようなデモンストレーションについては、映画出演以前からさまざまな場所で行っていました。いくつかの実写フィルムが残っていますが、みな同じようにみごとに吹っ飛ばされていますね。

こんなに強い蹴りを出す秘密は、胴体の素早い移動や腰の入れ方だけでなく、軸足の踏み込みにもあるように思います。あの蹴り方は「テコンドー」「サバテ」「松濤館流空手」からきているという説もありますが、私が過去に中国拳法を練習したとき、ほぼあの蹴り方と同じ力の発揮をする蹴り方を習ったことがあります。地面を蹴ることで蹴りの威力を増幅するという明確な説明も受けました。

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3.ワンインチ パンチ

ブルースのキックの威力がわかったことで、私は次に、かの有名な「ワンインチ パンチ」という技の威力について知りたくなりました。上記と同じ方法でここに導き出してみたいと思います。

このパンチは相手の胸先1インチのところから「チョコン」とパンチを繰り出し、相手を突いて吹っ飛ばしてしまうもので、中国武術では寸勁とよばれます。私はいくつかの実写映像で確認しましたが、ものすごい威力があることがわかります。

そのなかで、比較的移動距離が分かりやすい映像に注目してみました。それは彼が、アメリカにおけるテコンドーの先駆者、ジョーン リー(Jhoon Rhee)氏が主催したトーナメントで見せたものです。おそらく1960年代末期の映像でしょう。

このデモンストレーションの相手をつとめたのが、ジョーン リー氏のもとで師範代をつとめる人で、ジョーン リー氏の解説によると体重が225ポンド(102kg)あるとのことですが、もう少し軽いかもしれません。

このデモンストレーションを見る限り、ブルース リーの拳は1インチどころか、まるで相手の胸にくっついているように見えました。そこから彼は一瞬「ブルッ」と動いたかと思うと、ものすごい勢いで師範代を吹っ飛ばします。後ろに椅子があるのではっきりとはわかりませんが、床にそのまましりもちをついたとすれば、少なくとも1mは吹っ飛んでいます。

身長は画面で確認する限り、ブルースより10cm程度高いので、180cm程度、重心位置は90cm = 0.9mの高さに設定します。上記の条件からブルースのワンインチ パンチの力積を推定してみます。

まずは落下時間から。

0.5*9.8*(落下時間)2 = 0.9
落下時間 ≒ 0.43

次に速度を出します。

1 / 0.42 ≒ 2.38

ブルースは師範代に秒速2.38mの速度を与えています。

そして、ワンインチ パンチの力積は、ジョーン リー氏がコメントした体重を信頼するなら、

102 * 2.38 = 242.76

以上のことから、ブルースが放ったワンインチパンチの力積は242.76kgm/秒ということになりますね。

師範代の方は道着を着ているので、その当時の実際の体重がどの程度か推定するのは難しいのですが、ブルースの体格(当時約60kg)と比較すればかなり大きいので、80kgは超えていると思います。もし、私の目測最小値である80kgが師範代の体重(質量)とすれば、

80 * 2.38 = 190.4

おそらく最低でも190.4kgm/秒は出ているのではないでしょうか? これでも、体重65kgの格闘技選手の膝蹴りの約2.3倍の力積があることにご注目ください。実際打たれた師範代はもんどりうって椅子ごと地面に倒れそうになりましたが、立ち上がるとき効いたような素振りを見せていたのが印象的です。

実際に測定器を使った計算ではないですし、あくまでも単純化した計算ですから、ずれはあると思いますが、彼のパワーの一端を計り知ることができます。

中国武術では「沈身」という、重心を沈めた後、相手を打つという方法があり、タイミングを合わせることで瞬間的に体重を増幅するのと同じ効果をあげることができます。

また、強烈な自己暗示で運動に参加する筋線維の数をコントロールしたり(この場合は増加)、重心の素早い前方への移動、体のアライメントなど、さまざまな要素を合理的に組み合わせて技を発揮するのです。

ブルース リーは「体の各所の小さな動きを(タイミングよく)一度に発揮することで大きな力を出せ、敵はそれで終わりだ」というようなことも述べていますが、このように中国武術では体の各所の小さい動きを精密に練り上げ、少しずつ組み合わせていくという練習法が一般的にとられます。

このような方法をとることで、大まかに鍛えた場合より多くの筋群が効率よく運動に参加することになり、大きな力が出せるのではないかと思います。

太極拳がゆっくり動くのは、この神経-筋のコントロールを精密に練るためのものであるということが推定されます。

中国武術では、よく「力を抜け」と指導されるものですが、特に意識しやすい、体の表面にある筋肉の力を抜いて、深部についた筋肉を効率よく使うことをおぼえるためでもあると考えられますね。

このデモンストレーション ビデオの当時、ブルース リーはアメリカ武道界ではすでに別格の存在だったといわれていますが、このパワーだけを見ても頷けるような気がします。

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4.おまけ

ブルース リーに怪我をさせた男

さて、今回の番組は、彼のパワーを分析するだけではなく、珍しいゲストを迎えるという試みがありましたが、これにはびっくりしました。「ドラゴン怒りの鉄拳」で共演した2人の日本人のうちの1人、勝村 淳さんだったからです。この人は勝 新太郎さんの愛弟子に当たる人で、勝さんのスタンドインをつとめていたという話を聞いたことがあります。

勝村さんとリーの間に起こった有名なエピソードに、「勝村氏の一本背負いでブルース リーは撮影中止に追い込まれるほどの怪我を負った」というものがあります。私は膝の怪我だと思っていたのですが、真相は背中からももの部分にかけての内出血、ということのようでした。

この件で、勝村さんは「世界最強の男に怪我をさせた男」という感じで紹介されました。

ただ、あれは映画の中での出来事。きちんと振り付け(このシーンは勝村さんが振り付けたそうです)があって、ブルース リーも勝村さんも、その通りに動いただけにすぎないという事実があります。

ただ、勝村さんのほうは、ブルース リーがアクションの中で寸止めしないでバシバシ当てているのを見て(映画で確認する限り、ちゃんとコントロールしていますが)、同じようにやるつもりで、ブルース リーを床に叩きつけてしまったわけです。コンクリートの上にただ玉砂利を敷いただけのその床に…。

さらに、1回目がうまくいかなかったのか、もう一回やり直しになったそうで、ブルース リーは2度も柔道の心得のある人に、思い切り床に叩きつけられたことになりますね。これでは誰でも内出血するでしょう。

これがきっかけでブルースは撮影を2日間休んだといわれています。この話が現地の新聞にスッパ抜かれたとき、彼は「古傷が痛んだだけだ」と反論したといいますが、負け惜しみではなく、それは事実だと思います。

この怪我に逆上ること2年前の1970年、ブルース リーは腰に再起不能といわれた重傷(仙骨神経叢損傷)を負っており、3ヶ月の寝たきり生活と、さらに3ヶ月の安静生活を経験しているのです。

彼が負った傷害で、仙骨神経が支配する筋群は痙攣を起こし、相当な痛みがあったらしいです。香港のスターとして君臨したときも、腰が完治しているわけではなく、痛みを我慢して(痛み止めも使われていたとか)撮影に臨んでいたわけです。短期間で撮影に復帰できたということのほうが私には奇跡のように思えますね。

ちなみにこの怪我のエピソードについて、「ドラゴン ブルース・リー物語」という映画ではチャイナタウンが送り込んだ武術家に背中を蹴られたことになっていますが、事実は「グッドモーニング エクササイズ」というバーベル運動の失敗によるものです。これは肩の上にバーベルを抱え、上半身を前に倒すという危険な種目です。

日本のある映画評論家の方の説によると、このけがについては「1969年、空港で日本人4人組に襲われ、袋叩きにされて腎臓から出血した」とのことですが、私が今まで調べた限りではそのような事実は見つかりません。 また、時期にも1年のずれがありますね。

これは香港か台湾で出版された中文雑誌を翻訳したものらしいのですが、あちらの記事はでたらめが多いのです。私が所持する中文雑誌も事実無根の記事が多いのが目につきます。

記事の対象となった当時、「ブルース リーが試合で負けて入院している」「香港で殺された」というでたらめニュースがしょっちゅう流れていたそうです。その中の一つのエピソードと考えてよいと思います。友人でもあり、OharaPublicationsの社長でもあるミト ウエハラ氏によれば、香港の大新聞の記者がそのようなでたらめ記事(リーが死んだという記事だったらしい)に心配して電話をかけると、「おれは生きてるゾ」といわれたとか。

話はもどりますが、番組内で勝村さんが「中国武術では受け身をとらないようだ」とコメントしていました。その後の司会(別所哲也さん)とのやりとりの中で、「ブルース リーは受け身も知らない」という誤解が視聴者に伝わったのではないかと残念でした。

しかし、実際には中国武術にも受け身はありますし、リー自身きちんと受け身することができます。「ドラゴン怒りの鉄拳」以前の映画でもそれ以後の映画でも、投げられたブルース リーは彼流の受け身をきちんととっていますし、少なくとも20代の前半に彼は柔道の手ほどきを知人から受けているからです。最近は、彼が柔道着を着て練習している風景を撮影した写真も最近いくつか見かけるようになりました。

おそらく、彼が一本背負いを食らったこのシーンでは、床に叩きつけられた後、投げた相手の顔面にキックを入れる、というシチュエーションがあったため、普通の受け身はとれない状況にあったのではないかと推測します。あるいは勝村氏がいうように、そのシーンの投げが、ブルースの予想より早いスピードで行われたことも受け身なしの原因となったかもしれません。

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ブルース リーは自分の武術-截拳道-に裏付けが欲しかったのか?

この番組の特集の最後には、ブルース リーの友人であったとされる、風間健氏が登場されました。風間氏は、空手・少林寺拳法・キックボクシングの世界で名を馳せた武道家で、俳優の筒井道隆さんのお父さんとしても有名ですね。

さて、ブルース リーと風間氏のつきあいは数ヶ月続いたということは聞いていましたが、両者の間にはどれほどの理解があったのか、疑問が沸いてきました。

風間氏は今回のインタビュー以外でも、「ブルース リーは截拳道(ブルースによる武道・生き方のコンセプト)に裏付けが欲しかったのではないだろうか」ということを盛んにおっしゃっています。10年近くも前に出版されたある雑誌では「どうやら彼は実戦経験が少ないようだから、私の実戦経験を求めていたと思う」というコメントもありました。

ですが、私には次のような疑問が湧きました。

まずは、実戦、という言葉の解釈です。おそらく風間氏は「レベルの高い格闘スポーツの試合」の意味合いで用いていると思います。その意味でなら、風間氏の意見は妥当といえるでしょう。ブルース リーはあとで述べるボクシング対抗試合以外、公式の格闘技選手権に参加したことはないとされているからです。

ただし、「決まりごとのない命のやりとりの世界」と解釈するなら、事情は異なります。

彼は詠春拳を習い始める前から個人で、集団でおおっぴらにストリート ファイトをしていたらしいのです。

また、現在はどうなのかわかりませんが、1950年代の香港では、若い道場生同士の他流派との試合を盛んに行っていたそうです。

この試合というのが本物のガチンコで、ほとんどノールール。グローブをつけることもなければ、ヘッドギアもない。普段着に革靴という、本当にそれこそ実戦スタイルといえます。だから試合が終わると「血まみれ」は当たり前。

このように激しく行う試合ですから、「乱闘」に発展することもあったとか。ノールールでお互い切磋琢磨していますから、かなりレベルは高かったと推察されます。

80年代に香港にわたった私の先生も、やはり他流派との試合の機会があったと聞いています。もしかしたら、現在でも似たようなシチュエーションはあるのかも。

私が過去に詠春拳の練習をしていたときも、場所は「暗い公園」、服装は「普段着」でした。革靴も履くことがありましたので、結構小さい怪我はたくさんしていました。

香港での少年時代、ブルース リーは7-8時間の稽古をしていたといいますし、試合をする他の道場生たちも負けないように練習を積んでいたことが想像できます。

治安そのものも、当時の日本と比べるべくもない、ということも想像してください。

このころの彼について、私の先生によると「そのころのブルース リーは決して詠春拳だけに腰を据えて練習したわけではなく、勝手にフックや回し蹴りなどを練習に採り入れては、兄弟子たちに怒られていた」とのこと。後に彼は詠春拳をも批判しましたが、現在でも詠春拳に関わる人たちがブルース リーについていい顔をしないのは、そんな理由によると思われます。

彼はアメリカにわたったあとも、「比類のない武術家」として知られるようになりました。スパーリングした各階級の全米空手チャンピオンたちすら軽くあしらっていたそうです(スパーリングした本人がインタビューなどで感想を述べています)。

アメリカ空手界の父と呼ばれる故エド パーカー氏は「体重を考慮すれば、ブルース リーは最強の武術家だろう」と評価しましたし、アメリカテコンドーの父と称されるジョーン リー氏も「彼とスパーリングするのは避けた。あんなパンチで打たれたらたまらん」と証言しています。

その結果、1972年、つまりおそらくは風間氏と出会う以前に、アメリカで最も権威がある空手雑誌『ブラックベルト』の10大武術家にも選出されているのです。

このような事実から、「截拳道の裏付け」について、それが「実戦性を証明するためのお墨付き」という意味であれば、すでにその必要はなかったといえるでしょう。

これだけ有名で、実力的な評価も高い諸氏が認めた彼の技能なのに、当時無名な若手武道家である風間氏に自分の武道の裏付けを求めたとは、私には思えない。研究熱心であり、キックボクシングという格闘技に興味があった、ということなのではないでしょうか?

さて、その彼が「格闘スポーツのリングに上がった」記録が(私が知る限り)いくつかあります。それらは香港を離れる少し前、ボクシングのリングに何度か上がった、というものです。そのすべてに勝利したことになっていますが、一番有名な対戦相手は3年連続高校チャンピオンのゲーリー エルム氏でしょう。結果に対する証言は人によって若干異なります。

  1. 3ラウンドKO説
    • 3ラウンド戦った末にブルース リーがゲーリーをKOしたというもの。
  2. 1ラウンドKO説1
    • 真っ直ぐ出ていったブルース リーはゲーリーにひっくり返されたものの、すぐにブルース リーが立ち上がり連打をしてKOしてしまったというもの。
  3. 1ラウンドKO説2
    • 最初からブルースが連打でゲーリーを3度追い詰め、その3回目にKOしたというもの。

いずれにせよ、ブルース リーの勝利です。詠春拳の直拳の連打でKOしたというのは、どの説でも同じのようでした。

香港を離れた後も、弟子や知人の証言からブルース リーはかなりの数の挑戦者や道場破りを倒したり、あしらったりしていることがわかります。その多くはブルース リーが「本気になる」必要もなく、試合を終わらせたというものです。これらの証言の多くはドキュメンタリー ビデオに多数収録されていますので、興味のある方は確認してみてください。

一番有名なエピソードは大学在学中に挑戦されたUechiという空手マンの話と、ウォン ジャック マンという中国武術家の話でしょう。前者は11秒弱、後者は30秒強で倒したとのことです。特に後者は、彼が截拳道という自分の武道のコンセプトを確立するきっかけになったエピソードして知られています。

またまた話が横道に入ってしまいましたが、ブルース リーがストリート ファイトにあけくれていたということは、弟子のみならず、気まずい関係の人たちも多数証言しているので、かなりの数にのぼっていたことは想像に難くありません。

ですから、「実戦の経験が少ない」ということについては、私自身は理解しがたいのです。

参考図書:『身体運動学概論』浅見俊雄・ほか/大修館書店

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