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中原雄一( 21/10/20 Wed 22:43 更新)

黒澤監督 やすらかに

みなさまもすでにご存じの通り、日本の誇る映画監督、黒澤明氏がお亡くなりになりました。「日本映画界の損失」という表現もありますが、誠に寂しい限りです。

黒澤監督の映画について、私自身は特に努めて観ていたわけではありませんでしたが、一つだけ、監督その人に対する思い出があります。それは、映画「乱」の撮影時のお話です。

「乱」が撮影されたころ(1984年-85年)、私は日本大学文理学部の1年生で、静岡県の三島キャンパスに在籍していました。このころは私はお小遣い稼ぎのため、単発のアルバイトを探しているのが常でした。

さて、冬休みに入るころ、いつものように私がアルバイトを探していると、黒澤監督の「乱」のエキストラの募集に目が止まりました。お弁当付き、賃金も割と高いということで、喜んで応募したのを覚えています。

アルバイト当日、私はほかのエキストラの方々と一緒にバスに乗り、富士山麓に向かいました。道中、「もしかしたら俳優さんに会えるかもしれない」と一人舞い上がっていたような気がします。同行した友人は、「これだけ人数がいるのだから、まず会えないんじゃないの?」と冷静に分析していましたが。

駐車場に到着すると、まず、そこに設置されたテントの中で着替えをします。鎧兜が重いのにはびっくりしました。その後、テントの外に出て、メイク(ドーランを塗るだけ)を受けて、撮影現場まで数百メートル歩いて向かうのです。私はトレーニングのおかげでなんともありませんでしたが、友人たちは相当疲労したようで、次の日から参加しませんでした。

しばらく歩くと、大きなお城が見えてきました。これが撮影のためだけのものかと思うと、あまりにもったいない気がするくらい、立派なお城です。自治体のほうから「記念に残してくれ」という申し出もあったという話も聞きましたが、今回はなんと撮影の最後に燃やしてしまうのです!

現場ではいくつかのグループに分けられます。初日はお城の門を破って中になだれ込むシーンに参加しました。このとき自分の立っていた位置を覚えていたので、あとで映画館、ビデオで何回か確認したのですが、自分を判別できませんでした。当然ですね。

撮影は思っていたよりもハードで、何よりも寒さが応えたのを覚えています。その分、現場で出された豚汁はもう最高でした。戦死した雑兵の人形のすぐそばでお弁当と豚汁を食べていたとき、すぐ近くを根津甚八さんがスタッフと一緒に歩いておられるのに気づきました。やはり発散するオーラが違う感じがしました。

数日後、エキストラの参加者が少なかったとき、私は鉄砲隊に回され、頭の兜が傘に変わることになりました。しかし、これがきっかけで、私は撮影中に大問題を起こすことになるのです。

私はお城の裏側から急斜面を勢いよく駆け降りる鉄砲隊の中にいたのですが、初めて着用する衣装で戸惑いがあり、うまく準備ができていなかったのだと思います。斜面を駆け降りる過程で頭につけていた傘が飛んでしまったのでした。当然、私は「乱」の時代のヘアスタイル(ちょんまげ?)ではないために、そのフィルムはNGとなるでしょう。1回のショットで何百人も動員しなければならず、しかもカメラは同時に何台も動いているのです。さすがに「これはまずいことになった!」と思いました。

私はあわてて自分が所属した鉄砲隊の隊長のところへ向かい、今起こったことを正直に報告しました。当然、「なぜしっかり結んでおかなかったんだ! 1人の失敗が数百人に迷惑をかけるんだぞ!」とこっぴどく怒鳴られる始末。私は当時とても生意気な性格でしたので、声にこそ出しませんでしたが、隊長に対してあからさまに不満な態度を表していたと思います。反面、このような事故を起こしてしまったことにとても恥ずかしさを覚えていました。

広い撮影現場に隊長の怒鳴り声が響く中、私の不安は最高潮に達していました。そのときです。黒澤監督が口を開きました。

「いいよ。いいよ。気にしなくていいよ。もう一回いこう(撮り直そう)。」

というようなことをメガホンを通しておっしゃったのです! 全然怒っておられる様子はありませんでした。もうその瞬間、私は自分の卑小さに気づくしかありません。そして気を取り直し、次の撮影では失敗をしないように、全力を尽くそうという気持ちになったのでした。

「OK」が出たときはとてもうれしかったのを覚えています。すぐに隊長が私のところにやってきて、「さっきは感情的になって悪かった。またよろしく頼むな」といってくださいました。なんと気持ちのいい方ばかりなのでしょう! また場を収めてくださった黒澤監督には感謝の気持ちでいっぱいでした。

後にエグザス新宿武蔵野でインストラクターとして勤務しているとき、私が所属した鉄砲隊の隊長をご存じだという俳優さんにお会いしたことがあります。いろいろなご縁を感じました。

そして最終日、ついにあのお城が燃える日です。撮影中、いろいろな思い出がありました。「このシーンは撮り直しが効かないので、各人心して役割に当たるように」との注意が再三行われ、我々も気が引き締まります。

お城に火のついた矢が何百本も放たれ、城の中にも放火されました。私たちの背後、城の正面からは直径数メートルのファンが勢いよく回され、砂ぼこりが舞い上がる……。

火のついたお城の中から放心状態で出てくる城主(仲代達矢さん)の演技は鬼気せまるものがありました。私たち兵隊はその姿を見て少しずつ後ずさりをするのですが、皆、心底から後ずさりしていたのではないかと思います。

かくして、お城はまたと見られない大火事となって燃えてしまったのでした(このあと、真冬に直径数メートルのファンをまともに受けたためか、私は40度の高熱を出して数日間寝込んでしまった、というオチがつきましたが)。

後に私は映画館でこの映画と対面したのですが、改めて人間の生と死を省みる機会に恵まれたと思います。普通の娯楽時代劇では正義の味方が悪代官を「ザクッ!」「ギャー!」で終わりですが、乱では戦のあと、切られた雑兵が痛々しくうめくようなシーンも克明に描かれているのです。

以上で私の思い出話は終わりです。おそらくどなたも覚えておられないような小さな出来事ではありますが、当事者にとっては今でも鮮明に思い出される過去の一場面です。

黒澤監督のごめい福を心よりお祈り申し上げます。 

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